渡邊慧先生のこと

先日ある会合で,物理学者渡邊慧(1910--1993)の「パターン認識論」を発展させた論文で学位を得たという数学者に会って,大いに刺激を受けた。渡邊先生の著作で読みやすいものには『認識とパタン』(岩波新書)や『知るということ:認識学序説』(ちくま学芸文庫)がある。他に『時』(河出書房新社)は若干専門的だが私の書架にもある。一口に言えば先生は「エントロピーの人」という印象であったが,これを機会に私の中で印象がアップデートされつつある。

『認識とパタン』にある「醜いアヒルの仔の定理」は不思議な命題である。それによれば,私の好きな「アナロジー」に客観的根拠はない,ということになる。けれども,言われてみればごもっとも,といった類いの定理ではある。ここから出発して,先生はその後半生を「コンピュータを用いたパターン認識」に邁進されたわけだが,現在の AI による爆発的な発展の先駆ともいえるその業績の詳細について,迂闊にもよく知らずに過ごしてきた。

例えば『知識と推測』(東京図書)などは見過ごしているうちにもはや入手困難になっている。これを機会に読んでみたいと思い,Better World Books という古書店を見つけて,上記の原本「Knowing and Guessing」と「Pattern Recognition」を注文したところおよそ十日で届いた(写真)。アメリカの大学図書館除籍本であるが,送料無料で合計一万円ほどの出費だったから,アマゾンよりずいぶん安価に入手できたことになる。

ところで,先生の名前を最初に知ったのは「原子党宣言」を読んだときだから,もう半世紀以上前になる。初出は「中央公論」(1948)で,私が読んだのは「思想の科学」に載った復刻版だったように思う。これはもちろん「共産党宣言」のパロディで,当時はそのユーモアに大爆笑したものだ。ネット上を探したけれど,言及する記事はあるものの本文は見つからない。著作権問題が怪しいけれど,広く読んで貰いたくて,この際それを arXiv に上げてみた。その論旨は,今では原発問題もあるから,楽観的に過ぎるかもしれない。原稿を TeX に書き起こしているうちに,ピーター・セラーズの映画「博士の異常な愛情」を思い出した;その副題が「または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」だからである。

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