チャンドラセカールの自伝

ちょっと前にネット上で「A Scientific Autobiography: S. Chandrasekhar 」という本の pdf を見つけた。シンガポールに本社がある World Scientific 社の出版物なので,このファイルは著作権法違反かもしれない。本文は綴りの間違い(例 algorism)や人名の誤植があったりするものの内容的には問題ないように見える。

さて,この自伝は彼がシカゴ大学のヤーキス天文台へ移ったあとの 1943 年から晩年の 1994 年までの「研究日誌」とでもいうべきもので,例えばヤンやヴェイユの論文集にあるコメンタリーと比べると,より事細かに書かれていてかなり読み応えがある。全てを読んではいないが,紹介を少し書きたい。

彼については予てから不思議に思っていたことがある。最初の白色矮星からおよそ三十年の空白を経て再びブラックホールの研究を開始した経緯が私にはわからない。そもそもなぜ星の研究をやめたのか。エディントンとの確執のせいかと想像されるがそれは安直に過ぎる。その間に現れたオッペンハイマー達の仕事は,彼がやったとしても不思議ではないし,恐らく心中穏やかではなかったと思う。

本書にその答えは見つからなかったが,代わりにディラックとの面白い問答を見つけた。D:私が天文学者なら星の研究を続けるのだが,なぜ君はそうしないのか。C:私はもっと地に足のついた研究がしたいのです。あるいは,ヴェンツェルとの対話。C:今さら一般相対論の研究を始めても新しいことをやれる自信がない。W:君にはもはや何も失うものがないではないか云々。もっとも,これらは彼一流の韜晦に由来する「創作」かもしれない。

こうして彼は1960年代から一般相対論の研究を始めるのだが,それまでこの分野で活躍していたホーキングやソーンのような人達は,入れ代わりに別の問題群へと徐々にシフトしていった。その理由は「天文学者 vs 物理学者」の違いにあるという。私のような門外漢には「別の問題」と言われてもそれらは縮退して見えるし,両者の相違もよくは分からない。物理屋曰く:天文屋は星について勝手な仮定を設けて計算するので信用できない云々,とある。しかし物理屋もそうでないと言い切れるだろうか。もう少し読み込んだ上で,改めて続きを書ければ嬉しいのだが。

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