比喩の力

一仕事終えた後の気晴らしにと,写真の「海南小記」初版を入手して再読した。柳田の文章は国語の教科書に何かが載っていたと記憶するが,大昔の学部時代にこれと「遠野物語」とを続けて読んだ。「ジュネーブの冬は寂しかった」に始まり「つつしんでこの書をもって日本の久しい友,べシル・ホール・チェンバレン先生の,生御霊に供養したてまつる。」に終わる自序を読んで当時のことを懐かしく思い出した。

このような「読ませる」序文というのは数は少ないけれど,記憶に残る印象的な「前書き」を持つ本は他にもいくつかある。それらだけを集めて「序文集」を作れば面白いのではないかとも思う。自家製のものを作るか(笑)。

数学書だとH.ワイルがその代表だ。最初に読んだワイル本は入学してすぐの頃に読んだ「数学と自然科学の哲学」だったが,T.S.エリオットの詩を効果的に引用した「緒言」はなんて格好良いんだと感心した。

他に「群論と量子力学」の序文も素晴らしいが,ワイルの序文のベストは「リーマン面のイデー」のそれだろう。「リーマン面は諸関数が生育し繁茂する母なる大地である」という箇所も簡潔で要を得ているけれど,格好良いのは次の部分だ:

本質において単純であり偉大であり崇高な本来の理念を,プラトンの表現によれば場所なき場所(topos atopos)のなかから ー 海のなかから真珠を採るように ー 我々の悟性界の表面にとり出すのである。(田村二郎訳「リーマン面」岩波書店)

うまい比喩の「喚起力」あるいは「引用の効用」というものが感得させられる。じつは拙著「微分積分演習」でも真似をして「ヘレン・ケラー体験」という言葉を使ってみた。自分では「イケてる」と思っているのだがどうだろうか。



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