頼和太郎君のこと

古い友人である頼和太郎君が12月10日に事故で亡くなったことをネットニュースで知った。三浦半島の三崎港からシーカヤックで出たところ転覆事故にあったという:享年73歳。私とは駒場時代の同級生で理学部まで(彼は数学,私は物理)共に過ごした。

彼は江戸後期の文人として有名な頼山陽の末裔である。山陽自身の幼名は久太郎だが頼家では男子に「*太郎」と付ける慣習でもあったのだろうか。

卒業後はしばらく疎遠であったが10年近く前に偶然に彼の住所を知り,私のとある文章のコピーを送ったところ,折り返しに近況と共に「オスプレイ」に関する流体力学の質問が返ってきたのであった。

ちなみにその文章は「中村真一郎手帖」第7号に載った私の回想記事で,もちろん先生の『頼山陽とその時代』に関連して頼君のことを書いたわけである。プライベートに触れた恥ずかしい部分もあるのだが,参考までにその文章を arXiv に上げておく。

彼は大学時代に仲間内で「ボクサー」と呼ばれていたのを思い出した。その理由はサイモン&ガーファンクルの名曲 Boxer を聴いてみればすぐにわかるだろう。これを主題歌とする映画も見たような気がする。久し振りに S&G を聴きながら彼を葬送しよう。


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