科学雑誌の今昔
書店で湯川秀樹『科学者の創造性』(中公文庫)を見掛け,ほとんどが既読だろうとは思ったが衝動買いした。今はない雑誌『自然』(中央公論社)に掲載された文章を集めたものだという。ところが読み始めて2ページ目で誤植「対象の中期(正しくは大正の中期)」にぶつかり興を削がれてしまった。逆に「なぜこういう誤植が生じたのか」に興味が湧く。手入力の誤変換なのかあるいは音声経由の誤変換なのか。OCRも多いと聞いていたが,現在はどれが主流なのだろう。
『自然』は毎号手に取っていた雑誌のひとつだが(朝永先生の「スピンはめぐる」が連載中は定期購読していた)あるとき突然に廃刊になった。普通は「薄くなる」とか「体裁が変わる」とかその兆候があるものだが本当に突然だった。ちなみに岩波の『科学』にもその兆候があったが,編集方針が変わり魅力が減衰したけれど,今も続いている。中央公論社は本体が経営危機に陥ることが何度もあったけれどそれが理由ではなく,当時はちょっと前に『ニュートン』が始まったり『科学朝日』が消えたりして科学雑誌の転換期であったのだろう。
今も健在なのは『数学セミナー』と『サイエンス』くらいである。『数セミ』が長続きしている理由のひとつは「連載記事」に恵まれてきたことだろう。一方でその後生まれた雑誌で健闘しているものに『数理科学』がある。毎号テーマを設けて「特集」を組んでいるのが特徴だが,毎号これを続けるのはたいへんだろうと思う。私の場合興味が湧いて購入するのは,ときたまというのが実情だ(笑)。なお,どの雑誌も評判の良かった記事をまとめて後で単行本やムック化して利益を上げている。これは『自然』の場合も同じだったのだけどねえ。
科学雑誌の今後はどうなっていくのだろうか。インターネット時代を迎えてテレビ局なども過渡期にあるようで,ドラマなども漫画やウェブ小説を原作に持つものが増えている。「紙媒体は消える」と言われ続けて久しく,私の場合も画面を通して読むことが多いけれど,ツールに慣れないせいもあって考える際には紙が手放せない。Google Scholar を Siri や Alexa のような音声で使う時代が来るのだろうか。論文を口述して自動翻訳できれば大いに助かるが,誤変換&誤翻訳は無くならないだろうなあ。
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