国会図書館デジタルコレクション(続)

先月来ヒマを見付けては検索窓に色々なワードを代入して遊んでいたのだが,いくつかの発見があったのでそれらについて書きたい。


(1)検索エンジンが独特である。例えば,著者欄に「林達夫」と入れると結果に「小林達夫」という素粒子研究者が混じったり,「志村五郎」とすると「志村五郎左衛門」という人が混じる(笑)。どうやら「前後に任意文字を許す」仕様になっているらしい。全6巻の「林達夫著作集」に別巻(書簡集)が没後に一つ加わっていたのを今回はじめて知り,迷わずダウンロードしてしまった(笑)。

(2)嬉しい発見のひとつは,戦争前後の古い本をいくつか見付けたことだ。例えば,渡邊慧先生の白日書院版『時間』(河出書房新社版『時』に相当)とか,高木貞治『近世数学史談』などがある。後者は複数のバージョンが置いてあり,地の文は全てカタカナで書かれており「人名はカタカナの下線引き」になっていて大変読みにくい。大昔に読んだときの記憶では「人名が平仮名」なのだが,記憶間違いだったようで「私の記憶が当てにならないこと」を再確認した。

(3)また「伏見康治著作集」が全巻読めることも嬉しい発見だ;私は一巻だけを持っている。一方で,湯川秀樹先生や朝永振一郎先生の著作集はデジタル化されているものの,直接は読めず「遠隔地コピー」を依頼するしかない。こちらも私は数巻しか持っていないが,コピー依頼するのは全く現実的でない。これらの「線引きの基準」がどうなっているのかはよくわからない。伏見(1909-2008)湯川(1907-1981)朝永(1906-1979)なので単純な「生没年」でないことは確かだ。

(4)今は廃刊になった中央公論社の雑誌「自然」は全てデジタル化されているのだが,ネット上で読むことができないのはたいへん残念なことだ。愛読していた 1970 年前後の目次を眺めていて懐かしい思いがしたのだが,掲載記事の時間的前後関係の記憶があやふやなのには我ながら呆れてしまった。

(5)その他に,中央公論社の「世界の名著」および「日本の名著」シリーズが全巻含まれていることや,岩波書店「プラトン全集」や筑摩書房「ヴァレリー全集」が全巻置かれていることなどにはたいへん驚いた。特に後者は「捕追」の諸巻や「カイエ篇」までを全て読める;読もうとは思わないが(笑)。


以上,読者の皆様も読みたいものがあればまず国会図書館のサイトで検索されることをお勧めする。こうなると,読書環境としてのパソコンに「若干の不満」が生じてくる。もっと大きい画面で目の疲れないものが欲しくなるのだ:候補がなくもないのだが人間の欲望にはキリがない(笑)。


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