ブルバキの『数学史』
ブルバキの『数学史』の翻訳には2種類ある:1970 刊の東京図書のものと2005 刊の筑摩学芸文庫のものである。元々この「数学史」は本編中の「歴史覚え書き」部分を集めて出来たので,本編完成前の前者には後者にはあるいくつかの項目が欠けている。私は両方を持っているが,これから入手しようという人は注意されたい。当然ながら私は 37巻からなる本編の全てを読んではいない(持ってもいない)のだが,この「歴史」を読めば本編を読んだつもりになれる(笑)。
(1)前回記事に「オイラーの形式感覚」ということを書いた。後者の下巻 P.133 には次のような記述がある:
「しかし形式的な計算に走る傾向は,彼の場合には非常に強く,その異常なまでの直感力をもってしても,たとえば $0=\sum_{n=-\infty}^{+\infty} x^n$ とするなどのように,ときに不合理に陥ることは避けられなかった。」
オイラーはこの場合,ベキがゼロまたは正の部分の和 $\frac{1}{1-x}$ とベキが負の部分の和 $\frac{x^{-1}}{1-x^{-1}}=\frac{1}{x-1}$ を加えてゼロを得たのである。現代では,この和は「超関数」であって「$x\neq 1$ のときゼロ,$x=1$ のとき無限大」を意味する。このことは佐藤幹夫先生の論文のどこかにあったと記憶する。
(2)『数学史』の訳者は村田全・清水達雄・杉浦光夫の3先生であるが,ときどき「奇妙な訳語」が使われた箇所があって面食らう。たとえば下巻 P.211 には「鮮収束」という訳語が登場する;「鮮やかな収束」では意味が通らないが,原語は「convergence etroite」である。元来 etroite は「狭い」という意味で(狭き門より入れ),本編(測度論)では通常の収束以外に etroite と vague な収束を区別して用いている。私は測度論には詳しくないが,現在では別の訳語が用いられているのではないかと思う。
(3)今回の話題は「リー群とリー環」の項目を再読したことに始まる。そこには「リーの3基本定理」が,リーとエンゲルによる原著の該当ページを指定した上で簡潔に纏められている。幸いにこの原著はネット上でPDFが入手できるので,悪乗りして指示通りに読んでみると,記号法まで忠実に従っていることがわかった。 但し原著には他にも多くの定理が並んでおり「それらから現在の3つの基本定理に最初に纏めたのは誰か」という疑問が湧いた。これらが書籍(著者)によって「同じ内容の3つ」とも限らないが,手許にある教科書を逐一確かめてはいない。それにしても「人間には理論を3つの定理(法則)に纏める習性がある」らしいのは何故だろうか。
(追記 June 21)(A) 余計な詮索ではあるが「リー理論を3つの基本定理に纏めたのは誰か」が気になり少し調べてみた。ネットで E. カルタンの学位論文 (1894) というのが入手できる。第1部第1章の冒頭にリーの仕事を3項目にわたってリーと同じ記号法で要約しており,ブルバキのそれはこれを踏襲したことがわかる。他に先行研究として W. キリングを頻繁に引用しているが,こちらは後半のリー環の代数的考察に入ってからで,有名なカルタン分類の記号 ABCDEFG が登場している。上記疑問の回答は「E. カルタン」として良いと思う。
(B) ヤフオクに『ブルバキ数学原論(欠巻有)』が出品されていて,既に所有する巻と重複もあるのだが,2万円を切る安さに衝動買いしてしまった;これから置き場所の心配をしなくてはならない。そのうち届くけれど,やはり「無駄な買い物」だったかも,と少し後悔している(笑)。
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